ふるい話ですが、かって4年に一度ずつ、世界の各地で開かれた世界日曜学校大会が、大正9年、日本の東京で開かれることとなっておりました。
当時私は、所属教会で、日曜学校に奉仕して居りましたが、日曜日の一時間ではもの足りなく、自宅の一室を開放し、土曜学校というものをやって居りました。
すると、幼児を連れて申し込まれる方がありましたので、大いに責任を感じ、家内を東京に出して勉強させることとなりました。
結婚生活5年目でしたが、幸か不幸か、子供が無かったので、大正10年の春、家内は上京して、玉成保姆養成所に入学、ミス・アルウイン先生のもとで勉強することとなりました。
夏休みになって、家内が帰宅すると、新潟で私立幼稚園を創めては?、と言うのです。その頃、幸にも渡辺敏子嬢-今の岩渕さん-が女学校から直ちに玉成に学び、卒業後、霊南坂幼稚園に1年奉仕して、今は新潟に帰って居られたのです。
そこで、敏子さんにお願いし、家内が来年帰る前に幼稚園を始めていただくことになりました。山添婦人を助手にお願いし、私は園主、敏子さんのお父さん・渡辺熊三郎氏-弁護士で市会議員-を園長、小児科の木村ドクトルを園医ということで、新聞に書いてもらって園児募集を始めました。
大正10年8月のことであります。(斉藤正直)
当時新潟市には、西堀幼稚園と沼垂幼稚園二つの公立がありましたが、私立は初めてであったのです。名称は二葉幼稚園(まだ二葉小学校のなかった頃でした。)と名づけ、家庭の延長であるからと、先生といわずに、おじさん、おばさんと言うことにしました。
8月末から9月にかけて、30人近い希望者がありましたので、寄居町にあった日本キリスト教会に会堂を借りて、9月9日に入園式をいたしました。
9月15日には正式に認可も下りましたので、その日を園の創立記念日としております。
甚だ中途半ぱではありましたが、翌年の3月には、第1回の卒園生8名を小学校に送りました。現在新潟においでの方は関谷の斉藤マサさんお一人だけでございます。
2年目には50名程になりました。家内も東京から帰り、も一人竹早出のおばさんも加わって、組の名も、信・望・愛、宗教教育に芸術教育、この二つを柱とし、早くからフレーベルの恩物や、モンテソリーの教具も用いて居ります。
リトミックなども比較的早くから取り入れて居ります。(斉藤正直)
ふるい話ですが、かって4年に一度ずつ、世界の各地で開かれた世界日曜学校大会が、大正9年、日本の東京で開かれることとなっておりました。
当時私は、所属教会で、日曜学校に奉仕して居りましたが、日曜日の一時間ではもの足りなく、自宅の一室を開放し、土曜学校というものをやって居りました。
すると、幼児を連れて申し込まれる方がありましたので、大いに責任を感じ、家内を東京に出して勉強させることとなりました。
結婚生活5年目でしたが、幸か不幸か、子供が無かったので、大正10年の春、家内は上京して、玉成保姆養成所に入学、ミス・アルウイン先生のもとで勉強することとなりました。
夏休みになって、家内が帰宅すると、新潟で私立幼稚園を創めては?、と言うのです。その頃、幸にも渡辺敏子嬢-今の岩渕さん-が女学校から直ちに玉成に学び、卒業後、霊南坂幼稚園に1年奉仕して、今は新潟に帰って居られたのです。
そこで、敏子さんにお願いし、家内が来年帰る前に幼稚園を始めていただくことになりました。山添婦人を助手にお願いし、私は園主、敏子さんのお父さん・渡辺熊三郎氏-弁護士で市会議員-を園長、小児科の木村ドクトルを園医ということで、新聞に書いてもらって園児募集を始めました。
大正10年8月のことであります。(斉藤正直)
「人の一生をつらぬく体と心の土台は、幼児のときにつくられる」-フレーベル-
子どもたちの、長い人生における社会生活のはじめての出会いが幼稚園です。
まっ白な、この子どもたちの心のカンパスに、何を描いたらよいでしょう。
そして、描かれたものは、子どもの将来の生き方を、大きく大きく左右します。
幼児教育に携わる私たちは、ちょっとした言葉がけ一つにしても、責任と指名の重たさを痛感します。
二葉幼稚園の創設の趣旨は、家庭的な暖い雰囲気の中で、家庭の延長としての場を与え、そこに育つ子どもたちは、みんなを大切にして、おもいやりのある親切な子たれとの願いからでありました。
はじめて集団生活に入るわけです。
・みんなといっしょに生活するための、正しいあり方を身につけさせたいと思います。
・一人ひとりの素質を良い方向に十分に伸ばしてやりたいと思います。
・明るく、たくましく、はきはきとした態度を育ててやりたいと思います。
相手が幼な子です。私たちは暖いまなざしと、広い包容力のもとで忍耐強くまち、よりよい生活習慣、集団生活の経験を体得(教えこむことでなく、からだで感じとらせ、身につかせること)させることを第一として、教育の構えとしております。
そしてまた、人間の力をはるかに超えたもの、畏敬すべきものとして、神様の存在を知らせ、誰がみていなくとも、神さまがごらんになっているという心のよりどころをもたせ、正しい人間としての生き方を、幼な心から育てていきたいと考えております。